今までの私、これからの私
恵まれた生活から
私は仕事と家庭を持ち、たまの休暇には海外旅行にも行くような恵まれた生活を送っていました。現代医療に何の疑問も持たない内科医でした。
しかし、ある時から冷えと疲れがとれなくて家では布団にくるまって横になることがありました。それでも仕事には全く差し支えなく、私は自分の病気で仕事を休んだことはないのが自慢でした。
原因不明の体調不良
気が付くと娘の様子がだんだんとおかしくなっていました。娘はとても頑張り屋で勉強に運動に友達付き合いも精を出していました。ところが中学3年頃よりだんだんと集中力がなくなり、突然頭が痛いと言って学校を休んだり、早退したりひどく疲れている様子でした。高校1年の秋にはついに朝起きられず、学校に行けなくなりました。夜はなかなか眠れず、しかし寝てしまうと20時間近くも寝ていることもあり、起きても体が重くて動けません。好きなこともできず、ただぼんやりとソファに座ってテレビを見ている日々。もちろん病院で内科的にいろいろ調べたり、心療内科や精神科も数軒受診したりしました。血液検査では目立った異常はなく、精神科などでも軽いうつ状態とか適応障害とはいえるけど薬を飲むほどでは・・・と言われます。少量の抗うつ剤や睡眠導入剤なども試みはしましたが、副作用の方が強くて何も良くなりません。微熱も続いていました。ついには大学病院にも受診して慢性疲労症候群との病名はつきますが、これといった治療法はなく改善する見通しはつきません。学校をやめて負担をへらしても状態はそれほど変わりません。
栄養療法との出会い
そんな中、大阪にあるとある自由診療中心のクリニックの情報が目に留まり、副腎疲労という状態があることを知りました。その症状は娘の状態とぴたり一致。早速九州から大阪まで出かけ診察や検査を受けました。娘は下痢がちでしたが、腸内環境がひどく悪くて、デトックス能力やミトコンドリア機能が低下していて、カンジダ感染、有害な重金属の蓄積、栄養不足があることが分かりました。早速分子栄養学に基づいた治療が始まり徐々に下痢や微熱などの症状は改善しますが、その後の症状は劇的には変わりませんでした。
家族の断裂、仲間との出会い
だんだん娘もサプリメントを飲むことを嫌がったり私も仕事や家事や娘のサポートで疲れ果てたり、仕事中心の夫からは理解も協力もない状況で家族内はバラバラで非常に険悪な状態となっていました。身近に私の状態を理解してくれ、共感できる友人や知り合いはいません。私の支えはネットやSNSで知り合い、仲間たちとのコミュニティ。メンターからは、「我慢している所から早く離れろ」「自分を整えれば娘さんも必ず良くなる」と言われていましたが、私は「私自身は元気だし困っているわけではないし」とずっと思っていました。
ところが私も分子栄養学的な検査をしてみると、腸内環境がかなり悪くて体に色々と問題がありやはり副腎疲労であることがまず分かりました。娘の検査をしたときは検査の意味を深く理解していなかったことを反省して、私は分子栄養学の勉強を始め、自分自身の栄養療法を始めました。分子栄養学の勉強会には同じように自分や家族の体調不良をなんとかしたいと受講する人、患者さんに良くなってほしいと願って参加する医療従事者など、ここでもたくさんの仲間と居場所ができました。
伯母とのお別れで考えたこと
そんな中、 90歳代の伯母(父の姉)の死を経験します。伯母は女学校を出てから定年まで真面目な会社員でした。女手一つで苦労して3人の子供を育てた母親(私の祖母)と長年二人暮らし。結婚を考えたこともあったそうですが、気性の激しい母親に反対され、あきらめたようです。親しい友人もおらず、祖母が亡くなった後はひどく落ち込んで晩年は認知症となり施設に入っていました。思い出の中の伯母は今の私と同年代。優しく、おいやめいにお小遣いをくれたりはしますが、話しをすることは少なく、心から笑ったりする様子はありませんでした。葬儀に参列して、伯母の人生は何だったのだろう、本当は何をしたかったのだろう?と思うと長い人生を自由な心で生きていく大切さが浮かんできました。
連綿と
だれしも生まれた環境や時代背景、親からの思いを背負って生きています。私も家族のためにとか仕事も精一杯にとか、気が付くと無意識に頑張り過ぎていました。象徴的なのは若い頃よく耳にした「24時間戦えますか?」のキャッチフレーズ。そして何より自己犠牲的に私を育て応援してくれた私の母親の強い思い。私が選ぶものには(例えば服とかでも)無意識に自分の母親の意向も入ってくるのです。そして私の頑張り過ぎや我慢を見ている私の子供にも、とにかく頑張り続ければならないというメッセージが伝わり圧迫していることに気づいたのです。
のびのびわくわくを探す旅
私は今、勤務時間を最小限に減らして自由な時間を作り、睡眠時間もとってゆっくり過ごし、平日も空いた時間に散歩に出かけて楽しんでいます。のびのびと自由に生きていくには何をしようと考えるとわくわくします。長らくわくわくすることを忘れていました。この思いや経験を誰かに伝いたい。だからこれからは病院の診察室ではないところで発信して仲間を増やしていきたいと思うようになったのです。