私の記憶(幼少期)
普段は医療従事者のなかで仕事をしている私。
なのでお互いにそんな問いかけをすることはありませんが、
最近お知り合いになった方から
なぜお医者さんになったのですか? と聞かれました。
何しろ大学に入学したのは35年以上前、うーんなぜたっけ?
答えることができません。
そこで今ではぼんやりした大学入学までの記憶を初めて書いてみようと思い立ちました。
両親は医療職ではありません。やはり母の存在が大きいと思います。私の母は幼いときに自分の母親を病気で亡くしており、心から自分のことを思ってくれる存在がいなかったそうです。だから、女性が大学まで進学することを勧める人もおらず、時代的にも高校まで卒業すれば十分という世代。きょうだいがいずれも商売をしていたため、10年間くらいは家事手伝いのような状況にあり、その後結婚。サラリーマンである父の収入は(自営をしている親戚にくらべ)わずか。私が小学校に入学する前の年まで古い1DKのアパートに住んでいました。
幼い頃から母によく聞かされていた言葉は「お金がない」「あなたは勉強して手に職を持ちなさい」でした。父は家庭的な人ではなく、家事は一切手伝いませんし休みの日は釣りなど自分の趣味に没頭。あまり父に優しくされたり、家族で出かけたりの楽しい記憶はありません。私には弟もいて、私が親に迷惑をかけてはいけないんだなというようなことを感じていました。ただ日常生活はひどく困ることや悲しいことはなく、ままごとやリカちゃん人形で友達と遊んだり、親戚の集まりは賑やかでまあまあ楽しい幼少期時代でした。
私の洋服は母と母の姉である伯母がいつも選んでいました。伯母は女の子の子供がおらず、服好きで生活に余裕もあり、私にもよく服を買ってくれました。でも私は子供心にそれらの服が(いいものであったのかもしれないけど)たいがい地味で好きではありませんでした。あまり自分で服を選ばせてもらえなかったのは不満だったことを覚えています。
そういえば小さい頃は「何になりたい?」と聞かれ「お嫁さんになりたい」と答えていたような気がします。お嫁さんが幸せの象徴のようなイメージを持っていたのかな?それとも母親に憧れていたのかな?
小学校に入るころには「お嫁さんになりたい」とは決して思ってなかったと思います。その頃には母の苦労がわかってきたのか、母の洗脳が効いてきたのでしょうか。
人は育っていく過程の中で、周りの大人が気付いていない我慢をしていたり、本人が気付かないうちに洗脳というか、周りの人の価値観である「○○すべき」が入り込んでいくのだと自分を振り返っても思います。