私の記憶(小学校~高校時代)

小学校入学前に郊外の新興住宅地に引っ越しました。その家は欠陥住宅でした。それはさておき、山の麓でもありまだ空き地や建築中の家、池や森などが近くにある、子供の遊び場としてはとても恵まれた場所でした。毎日多くの時間、外で遊んでいました。走り回り、池に石を投げる、カエルやオタマジャクシを捕まえる、四つ葉のクローバーを見つける、結構よく見つけてました。春はつくしをとる、建築中の家の近くでは廃材や、砂をふるいにかけた所に貝殻がたくさん落ちているのを拾ったりしていました。森に入り込む、など今思えば危ないこともあったかもしれません。これらの子供の頃の思い出はなんだかキラキラ輝いています。今でも自分で瞑想するときに子供時代の光景がまず浮かんで来たりします。

けれど小学校は嫌いでした。 何が何でも言うことを効かせようとする厳しい先生や、教室でのみんなの同調圧力みたいなのが苦手。にこにこして挨拶するとか、元気に手を上げて発表するとかできないので、先生からはかわいくない子とみられていたみたい。学校での友達付き合いは、ノリが合わず、ただいじめのターゲットにならないよう気を遣ってました。

逆に中学校は友達も学校行事も楽しかった。中学校の頃はヤンチャな子がいて、私は先生に目をつけられるようなことはしないし、成績は先生からの印象より、テストの点数で主に評価されるので楽になりました。でもトップクラスと言うわけではなく、大学生のお姉さんのような人が週2回家庭教師に来てくださり、わからないことは聞きながら自分のペースで勉強できたのは良かった。英語が好きでした。その頃は母の「勉強して資格をとりなさい」は具体的になりやはり「医者がいいよ」とか「薬剤師はどお」など医療系の国家資格を押してきます。

その結果か、高校は小さい頃から憧れであった(思えば母の洗脳)地域では一番の県立の進学校に入ることができました。高校では吹奏楽部に入りました。でももともと音楽は苦手で吹奏楽部は全く考えていませんでした。ただ仲の良い友達が入ろうとして一緒にと強く誘われ、ちょっとかっこいいかなという程度の気持ちで入りました。クラリネット担当になりました。楽器は初めてだし、吹奏楽部は土日祝日春夏冬休みも含めほとんど毎日練習があります。このときから休みのない生活が始まりました。最初の1年間は練習がきつく、勉強にもついて行くのにやっとで部活を辞めたいと毎日のように思っていました。

しかし 高校2年からは学校にも部活にも慣れて楽しくなりました。吹奏楽部の主な活動は春の文化祭、夏のコンクールや球場での野球部の応援、秋の体育祭、冬場のアンサンブルコンテスト、卒業式など式典で校歌や君が代を歌うときは必ず吹奏楽部の生演奏。吹奏楽部員は式典の時は、楽器を携え吹奏楽部専用のポジションにいてちょっと特別扱い。高校時代の思い出の半分以上は部活動。やはりこのときの部活仲間は今でも合えば話が弾むし、吹奏楽部に入って良かったと心から思っています。

知らないからとか今まで経験していないため、いやと思っていたことが続けていくうちに当たり前になり、楽しくなり、生きる原動力になったりするのだなと高校時代の部活を思い出しながら感じます。

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