忘れられない患者さん
Bさんは80歳の男性。妻に先立たれ、子供とは疎遠で一人暮らし。脳梗塞の既往や糖尿病などがあり通院していました。いろいろな薬を服用していますが、加工食品やパンなどが中心の食生活で検査値は良くなりません。入院しても良くなるのはそのときだけ。月1回程度の受診の時に看護師さんたちとお話するのは楽しそうでした。
ある夏の日、警察から電話があり、Bさんが一人で亡くなっているところを発見されたとのこと。事件性がないか病死なのかの判断のため日頃の病状などを聞かれました。夏の最も暑い数日間の中の出来事であり、持病のあるBさんは熱中症の可能性が高いと判断されたようです。高齢化社会の今日たまにこのような電話があります。その後虚無感の中、彼のご冥福を祈りながら、なぜかなあ、もっと厳しく注意していれば違ったかな、もう一度入院を強く勧めれば良かったかな。などしばらく考え込みました。
それから1年くらいたって突然Bさんの息子さんが話を聞きたいと来院されました。私は「治療が悪かったのではないか」とか、「病気が悪いのならなぜ、自分に連絡してくれなかったのか」などと責められるのかなと想像し、正直恐れながらお会いしました。
しかし、Bさんにどこか似ている50歳ぐらいの息子さんは怒っているのではなく、言われたことは「親父は自分のことを何と言ってましたか?」という疑問でした。私は「奥さんのことは先立たれてさみしいとよく言ってました。息子さんのことは疎遠であると聞いてはいましたが特に悪く言ってるのは聞いてません」と正直に答えました。
息子さんは父親のことを嫌っていました。ご遺体に対面しても「突然また怒鳴りかかってくるのでは」と思ったとのことでした。
父子の間にどのような歴史があったのかわかりません。父親から自身の価値観の押しつけなどがあり、息子さんはわかってもらえないと距離をとっていたようです。私がお会いしたのはそのときだけ。納得されたのか、その後この息子さんが父親への思いを卒業できたかどうかはわかりません。
私はこのとき、分かり合えないまま、会うことができなくなった人に対し、引っかかったものが続いていつまでも心のどこか影を落とすことがあることを知りました。自分は間違っていないはず、でももしかして・・・相手が絶対悪いのだ。でももしかして・・・
同じように家族や元友人などへの思いを引きずっている人はいるようです。
そのような辛さがもしあるのならば、分かり合えなかった頃の寂しかった自分、とがっていた自分、惨めだった、認めてほしかった自分自身をとにかくいたわり、許し、愛し大事にして欲しいと思います。そうすることつぶされた心が少しずつ解放され前に進む元気が出てくるのではないでしょうか。
相手が亡くなった親であれば、自分が年老いたときに鏡に映った自分に親の面影を見て自分を愛おしく思えるかもしれません。けんか別れした友人、知人であれば、何年もたって再会したときにひょっとすると会話できるかもしれません。